chinmageのカオスブログ

趣味探し、自己啓発、その他好きなことを好きなように書くブログです。

不自由の象徴だったけど

今週のお題「わたしの実家」

 

多くの人は、子供時代の大半を実家で過ごすと思います。

私も厳格な親に大切に育ててもらいましたが、社会人になった今思えば、実家は不自由を感じて少し息苦しい場所でした。

 

実家は普通の家庭で、普通に片付いている家でしたし、厳格な親は私にも片付けを強く命じました。食事は親が栄養に配慮して作ってくれたものを食べ、私は健康に育ちました。

親は仕事に用事に食事の準備に忙しく、少しでも効率的にこなせるよう片付いた家を好みましたが、私はそれが嫌でした。

なぜなら、私にやりたいことがあっても、それが親の望む範囲に収まっていなければ叶うことはなく、一方私は「やりたいことの代わりに与えられたものを心から楽しむ」ことが苦手で、ただ時間を持て余すだけでしたから。

つまり、親の言いつけで片付けをしても、親と違って私には、片付けの先にあるのが「不自由と暇」だけだったのです。

私にとって片付けをすることは不自由の象徴になりました。片付けを私に強要する実家や親も。

 

社会人になり、実家から離れて暮らすようになりました。

親は私の家に遊びに来るたびに「汚い、片付けなさい、ものが多すぎる」と言い続けました。

私は義務感から、自宅の片付けを心に決めました。でも不思議なことに何度試みても、うまく進みませんでした。

おそらく自覚はないものの、心の奥底で、片付けても不自由と暇になるだけだという思い込みに縛られていたのだと思います。

 

そんな中、年末に実家に帰りました。実家は相変わらず片付いていました。

実家に帰る前の私は残業続きで疲れ果てていました。飛行機の予約を間違えて直前で予約し直すくらいに。これまでの私や実家の親にとっては信じられないようなミスです。

私は片付いた実家で数日を過ごし、平面にものが置かれていないことで気分が楽になることにきづきました。それからもう一つ、あることに気づいたのです。

 

私はすでに自立した大人であり好きなことができるようになった。片付けや効率化の先が暇や不自由とは限らないのだ、と。

 

私は年明け、すっかり元気になって自宅へ帰りました。

そして、nashを手配し、掃除機をコードレスに買い替え、ウォーターサーバーの契約を解除してペットボトルの宅配に変えました。平面にものを置くのをやめ、使っていないものを処分しました。

片付けや効率化で生活を楽にした先に、自分の本当に望むことをやる時間が生まれるのだと、自分に言い聞かせると気力が湧くのです。

 

私の自宅は、片付いた家に近づいてきました。

今年は家を片付けてQOLを高めることが目標です。